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新春特別企画 「志ん生を探す旅 なめくじ長屋を訪ねて」

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司馬遼太郎が志ん生を評している。

「なんとも名状しにくい芸風をもった名人だった。滑稽噺(ばなし)だけでなく、円朝以来の人情噺がうまくそのくせ噺を押しつけるようなくどさはなかった。主題という鬼を組み敷きながらも縛ろうとはせず、縛るべき荒縄を口にくわえたまま一見八方やぶれでいて、自然に主題を鎮めてゆくというふうだった。生得としか言いようがない」 街道をゆく36/本所深川散歩

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谷中時代の邸宅。今は恐らく親類縁者ではない方がお住まい。

僕が大学生になって初めて住んだのが笹塚だった。その時分、志ん生が住んでいた土地なぞ知る由もない。志ん生の「びんぼう自慢」では極貧生活の最もひどかった時期として取り上げられている。

特別好きな芸道の先輩という思い入れはない。むしろ『笑うという演技のできない物足りない感情表現。ゆるすぎる噺の構成』など、冷めたものだ。

しかし、司馬遼太郎に光を当てられて、くっきりと浮かび上がった志ん生像を読むと、曲尺を当てて人を計る癖のある自分が恥ずかしい。

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志ん生の長男が馬生。その娘さんが池波志乃。中尾ご夫妻が住んでいたといわれる谷中のお宅。

「志ん生は永住町(ながずみちょう 新宿区)の床屋の二階にいたときに所帯をもち、間代が払えなくて追いだされ、田端にすこし住んで同じ事情で追いだされ、笹塚(渋谷区)に移って極貧のくらしに堕ちた。ここも夜逃げ同然で出て、本所の業平町に越してくるのである」 街道をゆく36/本所深川散歩

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業平橋の路地から覗く

言い訳がましいが、『編集作業がうまい』とは聞いて思う。例えば文楽の噺は極限まで切り詰められている、とは世評で納まるところだが、聞くと結構無駄な言葉が多い。意味の重なる言葉がちょいちょい出る。

「言葉は言い過ぎるよりも、言い足りない方が良い」と志ん生は言う。

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町内の出窓

浅草の立花館てえ寄席の楽屋で、ヨイショ(タイコ持ち)をやっている男が、
「家賃のいらねえ家があるんだが、誰か借りる人ァいませんかね」と、わきの人に話をしている。タダの家なんて耳寄りな話ですから、
「えェ、そりゃァ、一体、どこだい?」と、あたしがきくと、
「本所の業平ですよ。電車の停留所はすぐ近いし、いま入ってくれりゃァ、家賃は本当にタダだって、大家ァいってますよ」 びんぼう自慢

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「新聞屋さん?今うちの人パチンコに行っちゃってんのよ」

するとどうです。まだ真新しい長屋がズーッと三十軒ばかりならんでいて、全部空家だが、電気も水道もある。たしか六畳と二畳です。表通りの角の帽子屋さんが家主てえからのぞいてみると、おやじさんがいて、
「あんた、はなし家さんならちょうどいいや、いまなら家賃はおろか、敷金もいりませんから、ぜひ入ってください。そうして、大いに宣伝していただいて、長屋が一ぱいになれば、あたしんとこはもとが取れますから、こっちから、お願いしますよ」 びんぼう自慢

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新春らしを醸し出そうという下町の心意気か

「業平という名は、昭和初年まであった天台宗南蔵院の境内に、業平天神という小さな祠があったところからついた」 街道をゆく36/本所深川散歩

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なんか昔の長屋っぽくなってきた

おどろきましたね。あたしんとこ一軒だけが灯が点ってるから、蚊の野郎が、そこんとこだけ集まって、運動会をやってやがる。
「おう、いま、けえったよ・・・」っていおうと思ったら、途端に蚊が二、三十も口の中へ飛び込んで来やがって、モノがいえやしない。かかァなんぞ、破れ蚊帳の中で、腰巻一つになって、ペタンとすわってやがる。
二、三日たって、大雨が降ったら、こりゃひどいですよ。泥がつまってるとみえて、溝板が浮き上がって、水が家ん中まで、
「こんちは」もいわないで入ってくる。 びんぼう自慢

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困るなぁこんな所に勝手に高橋秀樹の家を建てられちゃ

もてあます。とは、恐らく業平町内の一致した意見ではないだろうか?世間の言うところの和菓子屋さんである。「森八」しょうがないんで、いちよ足止めされてみる。

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銘菓 おしなりくん饅頭

美味しいですよ。普通に。おしなり、とは押上、業平の頭を取ったもの こちら

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唐饅頭「八まもり」 ミルク餡をカステラ生地でくるんでいるお菓子


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左官屋さんもお城造りではさぞ腕をふるったことでしょう

長屋じゅうが一軒の家みたいでしたよ。夫婦喧嘩も、子供のいたずらも、どこの家へ客が来たなんてことも、すぐにわかってしまう。一度、あたしんとこへ新聞屋が来て、新聞代を払えという。頼まないのに、ふた月ほど前から、ほうり込んでおいて、そのとき金ェ取りに来たんですよ。
「ゼニなんぞ一文もねえよ」
「こっちも、払ってもらわんことにはこまる。どうしても払わないというのなら、こいつをもらって行きます」
てんでね、バケツを持ち出しゃァがった。バケツてえのは、水ゥくむだけじゃァない。いろいろに使えるから、こいつを取られた日にゃァ途端にこまる。
「そいつはいけないよ。ゼニは、二、三日うちに何とかするから、バケツは返しておくれ」
うちのかかァのその声きいて、バタバタッとみんなが寄って来て、気の毒に、その新聞屋は袋叩きにされちまった。 びんぼう自慢

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次はこの路地に・・・

出るの出ねえなんて、そんな生やさしいものじゃァありません。なにしろ、家ン中の壁なんてえものは、なめくじが這って歩いたあとが、銀色に光りかがやいている。今ならなんですよ、そっくりあの壁ェ切りとって、額ぶちへ入れて、美術の展覧会にでも出せば、それこそ一等当選まちがいなしてえことになるだろうと思うくらい、きれいでしたよ。 びんぼう自慢

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ありました。家の中カビてそうだなぁ。

かかァが蚊帳の中で、腰巻一つで、赤ン坊ォおぶって、仕立物かなんかの内職をしていると、足の裏のかかとのところが痛くなったから、ハッとふりかえると、大きななめくじの野郎が吸いついてやがる。なめくじがこんな助平なもんだとは、あたしゃァそれまで知らなかった。 びんぼう自慢
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では、こちらのお宅が「なめくじ長屋」のあった場所に、認定!

夜なんぞ、ピシッピシッと鳴くんですよ。奴さんにすれば、歌でも歌ってるつもりだろうが、あいつは薄ッ気味のわるいもんでしたよ。 びんぼう自慢

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本所消防団員、木挽会などという看板も見え、どうやら鳶のお宅?

「生得といえば、声にごくかすかな悲しみというか、あわれがあった。このために円朝が創造した江戸の市井の小悪党を演じていると、人間に生まれてきたための生来のかなしみがにおい、このあたりが、志ん生の芸をたかだかとしたものにしていた」 街道をゆく36/本所深川散歩

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大横川親水公園の逆さスカイ・ツリー

人の心のふれ合いてえものは、暮らしのよしあしとは違いますねえ。お互いが理解し合って、助け合って、一緒になって笑ったり、泣いたりする。あたしなんぞ、今でもあの時分の、なめくじ長屋の生活てえのが、とってもなつかしく思い出されてきますよ。 びんぼう自慢

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まだ過多固い桜の蕾。春、この木の下で酒を飲みましょう。

僕は長年、谷中に住んでいる。今はよみせ通り沿いに移ったが、世界湯という銭湯があった真向いにもずいぶん長くいた。先の志ん生の家の5,6軒隣りだ。世界湯は僕の「湯屋番」の中で必ず出す名前。もう跡形もなく、集合住宅に姿を変えた。笹塚から円朝の菩提寺、全生庵のある、志ん生の最後の地谷中へ。単なる偶然だ。

でも、偶然だからこそ想う。見えない聞こえない触れられない、力を。
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お年玉!愉しみました

お好きなかたはうれしい記事だよね、「志ん生」。

こうやって現在と見比べるのも一興だし、師匠ごひいきの司馬さんから見てくのも又、新たな切り口だし。

もう世に出すのは困難な名前んなっちゃったなあ。

寒い中の歩き旅、ありがとうございました!

ゆるく流れる時間

久しぶりにリラックスした、わずかな時間を楽しんで来ました。インスピレーションが解放されてゆきました。
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